2013年5月25日土曜日

春歌十首

はやう夏にしもなりぬるを、なほ例のこしをれどもかくなむ。

あらたまのとしたちかへる春の日はなにとすずろにうれしかるらむ

はつはるの霞たつ野に鶯のはつねをまつぞひさしかりける

見えぬままかすみへだてて鶯のなくねばかりはしるくぞありける

鶯のこゑをききつるけふよりはなほふる雪も花とこそ見め

咲きぬればちるべきものと年ごとにしるやしらずや鶯のなく

春霞なこめへだてそ風吹けばやがてあふるる花の香にこそ

きみがため若菜つまむと野にゆけば籠もみてがてに雪のふるかも

行く春に吹く山風よ心あらばなどかひとつの花も残さぬ

花散らす風をもとめてたずね行かば果てなき春のとまりやあるらむ

春ゆけばなほ鶯はなくなれど思ひなしにやうさぞそふなる

2012年11月11日日曜日

詠菊。こしをれ三首かくなむ。

染む色もなきわが宿に白菊は照る月影をうつしてぞ咲く
うつろはむものと知りてか菊の花時雨れてまさる色に香にかな
濃き薄きへだてはあれど菊の花わけても置かぬ朝露の秋

月につけて一首だに詠むべし。

菊てふことのいはば、枕草子に、

七日の日の若菜を、六日、人の持て来、さわぎとり散らしなどするに、見も知らぬ草を、子どものとり持て来たるを、「なにとかこれをばいふ」と問へば、とみにもいはず、「いさ」など、これかれ見あはせて、「耳無草となんいふ」といふ者のあれば、「むべなりけり、聞かぬ顔なるは」とわらふに、またいとをかしげなる菊の生ひ出でたるを持て来たれば、

つめどなほ耳無草こそあはれなれあまたしあればきくもありけり

といはまほしけれど、またこれも聞き入るべうもあらず。

(岩波文庫『枕草子』pp. 180-181)

とありけんもをかし。

2012年10月21日日曜日

まことは、枕草紙ひもときしはじめより、としごろ、心のすすむままにかずかずいにしへふみども読みてけるに、やうやう、これは心おごりやしてけん、われは枕も読めり、源氏も読めりとてしたり顔に差し出でがちにてありけるぞなかなかに面ぶせなる。ありしやう、ひとくだりひとくだり、おぼつかなからむはあきらめ、心入れ、おほなおほな考へてぞなほあるべかりける。うひうひしかりしほど思ひ出づべし。

ふみよみ、知れば得たりとかしこげに思ひなすに、さは、おのれしかるべからむをりにも必ずよみしさまにもえ書き出づべきやは。さきの歌、「人に見ゆらめ」は「人には見えめ」とぞよむべかりける。さなくはえしられず。かやうのことだにつけてもなほをさなきことしるべし。

いにしへの心をたづねふみみればかくぞとほくてちかきみちなる

2012年10月19日金曜日


世の中のさはがしかりつるままに、あへなう、え書きやらずなりぬるくちをしうなむ。かばかりのをりこそ、あがことにあらずがほにしもあるべかりけれ。わたくしにも、わりなくあさましきことのみありしかば、それさへうち重ねわびしくてなむかく久しくはなりにける。などかうてあるべき、なほ、

はちすとも人は見ゆらめ谷の奥に生い咲くからに香やは隔てる

2011年5月31日火曜日

池の鯉とる

定則は、手づからとらむとて狩衣ぬぎて池の瀬に降りつ。足音を聞きて、人の顔も知らねば、餌の程にや思ひけむ、魚どもにはかにこぞりて黒う群がりぬ。波立て、池の面盛り上げ、人の指も食はなむばかりに、近からである弘雅だに恐ろしうぞ覚ゆる。あれ、あれとなだめつつしやをらかがまりて腕差し入るるほどに、かい消つやうに散りぬればえとらずなりぬ。腹立ちて、弘雅こそ、と言へば、かれはをぢなき人にて、むつかりて踏みも入れず。泥こそ池の守にてあれば池の鯉取るべしとてにらむ。

泥の先づ甕に水をこそと言ひて水汲めば、定則かやうのことだにせで池にも入りつるよとはしたなく覚ゆれど色にも見せず。腕差し入るれば、あやしう、一匹用知りたるやうに泳ぎ来たりて、いとやすげにぞ掴みて甕にはこびにける。

2011年4月4日月曜日

昼つ方、池の橋にさだのり(定則)、ひろまさ(弘雅)来たり。さだのり大きなる甕、ひろまさは杖持ちて、ひぢ(泥)やある、ひぢやある、池の鯉とれ、大君の若君に見せたてまつりたまはむとぞ、とをめく。聞きて出づるに、杖の見ゆれば、あなゆゆし、われをしたたか打ちし杖なりとていみじう怖ぢぬ。橋かげにささと逃ぐるを見とがめつれば、呼びて、鯉とれ、とらねばうつとおどすぞあながちなる。

2011年3月28日月曜日

餌袋

庭の池の橋の影に伏したるはあやしき男になむありける。ひぢ(泥)といひて、春つ方、厨に入りにし盗人の、いかなる縁にかあらむ、やがてここに仕ふるぞあさましかりける。さるは、大君のあはれがりてとどめ置かせけるなりけり。あらず、なほ許したまはでをりふし懲ぜむとてこそ、大君ゆゆしき御癖なむはべなる、と言ふもあり。あやしき水干姿にて、なにとも知らぬさまにて立てるこそあはれなれ。

似気なう、きらきらしき袋めくもの持ち取りて食ふをあやしがりて、たより(頼)、なにをか食ふ、いみじき禄や得たると問へば、あらず、鯉の餌袋にこそ、腹のわびしかりつれば、さしも悪しからざりけるは、といらふるぞあさましき。いさ、といへば、いかでか、と逃ぐるやうに去ぬ。さかしき池の守にこそありけれ、顔などやすこし魚に似てきたらむ、と笑ふ。