2011年3月28日月曜日

餌袋

庭の池の橋の影に伏したるはあやしき男になむありける。ひぢ(泥)といひて、春つ方、厨に入りにし盗人の、いかなる縁にかあらむ、やがてここに仕ふるぞあさましかりける。さるは、大君のあはれがりてとどめ置かせけるなりけり。あらず、なほ許したまはでをりふし懲ぜむとてこそ、大君ゆゆしき御癖なむはべなる、と言ふもあり。あやしき水干姿にて、なにとも知らぬさまにて立てるこそあはれなれ。

似気なう、きらきらしき袋めくもの持ち取りて食ふをあやしがりて、たより(頼)、なにをか食ふ、いみじき禄や得たると問へば、あらず、鯉の餌袋にこそ、腹のわびしかりつれば、さしも悪しからざりけるは、といらふるぞあさましき。いさ、といへば、いかでか、と逃ぐるやうに去ぬ。さかしき池の守にこそありけれ、顔などやすこし魚に似てきたらむ、と笑ふ。

2011年3月2日水曜日

甕よりつき出で

若君幼くておはするほどに、甕は胸ばかりの丈にて見たまふ。中を覗けば、をのこの腿ばかり、大きなる鯉、われ猛しげにぞ泳ぎゐたる。およびだに差し入らば食はれなむともおぼえむかし。日も暮れなむとすれば、甕の底のあやなどもさやかならずおぼろけにてくらくらと揺ればあやしう、物に酔ひたる心地ぞしたまふ。しばし身じろきもせで見ゐたまへるに、にはかに震ひて躍りあがり、鯉、水をつき出でて床に落ちぬ。人びとうち驚きて声あげてさわぐ。